28_林修先生「頭のいい人はノートが汚い」を考える~それって重要なビジネススキルでは?

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林修先生の「頭のいい人はノートが汚い」が話題です。
https://news.careerconnection.jp/?p=57056

私も納得の説ですが、「綺麗なノートは意味がない」となると、反論があります。

いやいや、それって後々、社会に出てからの仕事ではとっても役立ちますよ、と思うのです。

 


 

林先生は「綺麗な字が悪い」と言うワケではなく、「学問においての字は、知を整理するほうが大切」と主張されています。

 

字の上手い下手と知的能力の高い低いで4つのグループに分類すると

(1)字が綺麗で知の整理が上手な人

(2)字が綺麗だけど知の整理が下手な人

(3)字が汚くて知の整理が下手な人

(4)字が汚いけど知の整理が上手な人

林先生曰く「過去の優秀な生徒は、4のほうが1より多い」。

 

「自分のまとめ方があって、『自分がわかれば良いんだから、僕はこれで良いんです』っていうタイプが優秀な子に多い」ということです。

「誰かに読ませるためではなく、『自身が理解できればそれで良い』と考えて、ノートを取る子のほうが優秀なのだ」というお話でした。

 


 

納得です。

 

私自身、中学生の頃「ノートをものすごく綺麗に作る」と職員会議や父兄会で発表される程、「参考書かよ!」ってくらいの完成度でしたが、成績は中の下。受験間際に慌てて帳尻を合わせて一応私立の難関高校に入りましたが、アベレージの成績は酷いものでした。

 

要は、「理解する」より「ノートを綺麗にまとめる」が目的になってしまい、自分でも本末転倒だな、という自覚がありました。

 

同級生の天才秀才連中のノートはいずれも殴り書きで汚かったです。

私はそれを見て「彼らにとってノートは、自分がわからないとこだけ書く」というものなのだ、と思いました。

ムダなことはしないのです。

 

一方、私のノートは「他の人が見ても理解できる、資料としての完成度」が気になってしまい、わかってる事も丁寧に解説してしまうのです。ムダの極致です(笑)。

 


 

しかし。

ここからは反論です。

 

「自分がわからないところだけ覚えればよい、理解できたらよい」のは林先生も仰る通り「学問における知=学校のお勉強」のお話で、社会に出てからの「仕事」はそうではありません。

 

「仕事」には必ずしも正解があるわけではなく、目的の本質は「正解を出す」ではなく「課題の解決」です。

そして業務上の課題、トラブルの要因の多くは「その業務に関わるメンバーの理解度の違い、認識の違い」から起こります。

 

そのため、仕事では「誰が聞いても、誰が見ても理解できる説明と、ドキュメント制作」能力が非常に大切なのです。

お客様向けの提案書だけでなく、社内のプロジェクト書類や、上申のための稟議書など、とにかくドキュメンテーション能力はとても重要で、それができる人は重宝されます。

 

一方、いくら能力が高くても「自分だけわかってる人」は困った人だ、と言われてしまいます。

 

自分をムリに弁護したり肯定したりするつもりはありませんが(笑)、この能力のおかげで私はディレクションとか、コンサルタントとかがやれていて、その基盤は学生時代の「綺麗なノート」にある、と思うのです。

 

もちろん、本当に能力が高い人は必要になれば他者にもわかりやすい説明ドキュメントが作成できるでしょうが、学生時代、成績よかったハズなのに仕事において説明したり、資料をまとめるのがヘタクソな人もかなりの数、存在します。

「そのくらいみんなわかってると思ってました」

「なにがわからないのか、わかりません」

大人になって、これを修正するのは、なかなか大変です。

 

故に、「仕事」における「能力の高い人」とは

1.地頭がよく、自身の理解力に優れ、意思決定が早く、かつ他者への説明も上手い人(成績も良くてノートを綺麗にとる人)

2.意思決定はできない(遅い)が、共感力に優れ、とにかく他者への説明が上手い人(成績は普通だがノートを綺麗にとる人)

3.地頭がよく、自身の理解力には優れているが、他者への説明がヘタクソな人(成績がよいがノートは汚い人)

4.自身の理解力も共感力もなく、自身も理解できていないので他者への説明が下手な人(成績が悪く、ノートも汚い人)

という順番になり、学生時代とは2と3が逆転する気がします。

 

結論としては

「ノートを綺麗に取ることは確かに成績アップにはムダかもしれませんが、後々、仕事でその能力が役に立ちますよ」

という説です。

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